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翔空手道クラブ・インターナショナルとは?

三鷹, 調布, 空手, Tokyo, Japan, Karate

 「翔空手道クラブ・インターナショナル」は、1974年に東京三鷹市大沢で設立されました。

 10代より空手道他、多武道を修行していた北岡恒久師範が、1974年に正式に日本空手道糸洲会に入門。総本部道場より師範を迎える事により、「糸洲流」の教場として発足いたしました。

 当初は、日本空手道糸洲会・総本部道場・三鷹支部と名乗っておりましたが、師範の「世界に翔び立つ人材を育てたい。」という願いのもと、1995年より日本空手道糸洲会「翔空手道クラブ・インターナショナル」と改名し、現在に至ります。

 「〜館」「〜塾」という名前が一般的な武道界において、敢えて英語の「クラブ(Club)」と名付けたのも、この空手道場を、国際的な社交の場としようとした事に意図します。

 翔空手道クラブ・インターナショナルの卒業生からは、実際に海外に空手道指導員として巣立って行った者達もいる他、毎年外国の支部道場や友好道場からも、多数、空手道研修に来るなど、文字通り「インターナショナル(国際的)」な活動をしております。

糸洲流とは?

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 「翔空手道クラブ・インターナショナル」では、「糸洲流」(いとすりゅう) を通じた空手道の稽古をしております。 

 「糸洲流」とは、「首里手」の大家であり、近世の拳聖と世人に仰がれている糸洲安恒師(1830~1915)を流祖とした空手道流派です。糸洲先生は、多くの型を創作し、現在も最も普及している「ピンアン」の型は糸洲先生が作られたものです。

 高弟の摩文仁賢和師(1889~1952)は糸洲先生の「型」を最も正しく学ばれ「糸洲派二世」を継承。摩文仁先生は「那覇手」の東恩納寛量師にも師事した事から、後に両師の頭文字をとり「糸東流」を創流いたします。
 摩文仁先生は糸洲派の保存を目的に、高弟の坂上隆祥師(1915~1993)に「糸洲派三世」を継承させました。 坂上隆祥師は、糸東流と区別するために1969年4月、正式に流名を
「糸洲流」とし、会名を「日本空手道糸洲会」と命名いたします。

 「糸洲流四世」は、門下生一同の推戴を受け坂上隆祥師の長男、節明が世襲し糸洲安恒、摩文仁賢和、坂上隆祥の三世代より伝承された糸洲派の「型」を忠実に守り普及に努めております。

日本空手道糸洲会とは?

​糸洲流空手道/日本空手道糸洲会紹介ビデオ

 「翔空手道クラブ・インターナショナル」では、「日本空手道糸洲会」(にほんからてどう いとすかい)に所属した空手道場です。 

 日本空手道糸洲会とは「糸洲流」の保存と普及を目的に、1940年(昭和15年)、糸洲流空手道三世宗家の坂上隆祥先生によって、兵庫県川西市で設立されました。北は北海道から南は鹿児島まで約100の支部があり、海外にも約20か国余りに広がる、大変大きく、また由緒のある団体です。

 年に一度の全国大会を東京、大阪、広島と交代で行う他、世界の糸洲会の技術交流や親睦のために、4年に一度は、世界選手権大会を開催をしております。

 

「糸洲流空手道」及び「日本空手道糸洲会」の詳細は、こちらから。

日本空手道糸洲会公式ホームページ

糸洲流空手道制定型

糸洲派

 

 ピンアン 1-5  / ナイファンチ 1-3  / ローハイ 1-3  / クーサンクー(大)(小)  /  シホークーサンクー

  ジッテ  /  ジイン  /  ジオン  / バッサイ(大)(小)  /  チントウ  /  チンテイ  /  ワンシュウ
 チンシュウ  /  ワンダウン  /  ゴジュウシホ

松村派

 

 バッサイ, セーサン

松茂浪派

 

 ワンカン / ローハイ / バッサイ /  チントウ  /  ワンシュウ

東恩納派

 

 ゲキサイ 1-2  /  サンチン  /  テンショウ  /  サイファ  /  セイエンチン  /  セーパイ  /  セーサン

 シソーチン  /  サンセール  /  クルルンファ  /  スーパーリンペー

新垣派

 

 ウンシュウ  /  ソーチン  /  ニーセーシ

 

 

石嶺派

 

 バッサイ

 

 

国吉派

 

 クーサンクー

 

 

支那拳法鶴法

 

 ニーパイポー

 ハッファ-

 パープーレン


 

摩文仁賢和創作

 

  アオヤギ

Bassai Dai
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